エクスタシーはなくても平気
※この記事はnoteからの転載です。
私は崇志と習慣的にセックスするようになって、4年間ほどエクスタシーには達しない時期が続いた。
その原因は崇志のテクニックに問題があったのではなく、心理的ブレーキがあまりに強かった私側の問題だった。
ただ私はエクスタシーなしのセックスでも特に問題はなかった。
その時私が崇志から愛されて受けていた快楽は、エクスタシーを100%とすると85%くらいだったろうか。
「短く終わるエクスタシーより、85%の快楽がずっと続く方がいいな」とすら思っていた。
実際に崇志のセックスは丁寧で優しく、ほどほどにイジワルで変態で、エクスタシーなしでも私を十二分に満足させてくれた。
でも崇志は私をエクスタシーに導けないことに大きなストレスがあったようだ。この辺りのセックスやエクスタシーに対する認識は男と女で大きく違うと思う。
女はエクスタシーを目的にセックスするわけではないと、男性にはなかなか理解してもらえない…ような気がする。
実際に崇志とはこの件について何度か話し合ったけど、「男のセックスにはエクスタシーと射精がつきものだから、それがないと『セックスした、終わった』という気持ちになれない」と聞いたことがある。
そういう意味では崇志はよく耐えてくれたと思う。
私が男性に伝えたいのは、ペニスは大きくない方がいい、エクスタシーがなくても女が満足できるセックスはある、いっそのこと挿入すらなくてもセックスは成り立つ…などであるが、性的な嗜好が柔軟な崇志ですら、これらを理解してもらうのにはとても時間がかかった(たぶん心からは理解していない気がする)。
そもそも「挿入して、二人同時にエクスタシーに達してセックスはクライマックスを迎えて終わる」なんてステレオタイプなイメージはどこから来たのか?と小一時間問い詰めたい気分だ。
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次回は私が考えるエクスタシーに至るまでの段階について考えを述べると思います。